ぷよぷよの歴史

ミスケンこと三須健太郎

ぷよぷよをパズルゲームからeスポーツへと昇華させた男の物語

お前だれ?

一年情報工学科 増田瑞樹

twitter : @hagiokayukiya

ぷよぷよはもこう先生の動画をきっかけに知り、レゲー発掘によりハマり2018年から始める

オフラインの対戦会にも赴いたりしている

目次

三須健太郎と不定形

ミスケン名人の誕生

現代ぷよの確立

伝説のまま引退

現代ぷよの動画

三須健太郎と不定形

「鍵に縛られなければ、もっとできるだろうなぁ。」

三須健太郎は異端児であった。

1996年、ぷよぷよ通が稼働して3年の月日が経とうとしていた三須の鍵積みは完成形に近いものだった。

それと同時に彼は鍵の限界に気づく。

もっと柔軟で、複雑で、高度な連鎖。

それを求めて三須は不定形の研究を始めた。

当時のぷよぷよ通は、良くも悪くも万人向けであった。

連鎖体系も階段積みや鍵積みといった定型が主であり、先打ち5連鎖が最強の時代だった。

○階段積みと鍵積みの例

基本的に連鎖は一本道で、ゴールが明確に定義されていた。

三須は考える。

心躍る、解が無数にある連鎖はこの世にないのか、と。

ミスケン名人の誕生

三須の不定形が世間に知られたのは、96年のプレイステーション大会のことである。

準決勝で敗れた三須であったが、3位決定戦の際メインモニターに三須のプレイが映し出された。

「ここはいっちょ、千切らず組んでやろう。」

三須の積みは相手のそれとはかけ離れたものだった。

皆が定型で組む土台を不定形で組み上げてゆくと観客は多いに沸いた。

本線12連鎖。相手を圧倒。

これが三須の不定形が他人に評価された最初のステージだった。

続く97年のナミキグランプリ。

決勝はGTRの創始者、田中名人。(GTR : 岐阜 田中 連鎖 の頭文字)

○黎明期のGTR

鮮やかなストレート勝利を皮切りに三須はタイトルを総なめにしてゆく。

ばよえ~んツアー、ぷよ名人戦、ミニミニマスターズ・・・

いつしか三須には「ミスケン」の異名がつき、「ミスケンが強い。50円玉がいくらっても足りない」と評されるほどに成長していた。

現代ぷよの確立

1998年、株式会社コンパイルの事実上の倒産はぷよらーにとって打撃であった。

利権はSEGAに移譲されたが、公式タイトル戦は完全に凍結した。

大都市と石川を除き、ぷよぷよ通の対戦環境は絶滅した。

ミスケンにとってもこれはショッキングなことであった。

強い相手と対戦する機会を失った彼は、さらなるぷよぷよの県境に没頭することとなる。

これが後に「現代ぷよ」と呼ばれる戦術の基礎になっていく。

クロス

相手の中盤手の発火と同時に自分の本線を合わせて発火するテクニック。

相手は中盤で使ったリソースをツモった上、適切な発火を強いられる。

例えるならば、スーパーで値引きされる前の商品を買い占めることで他の客に値引きされた商品を買わせないという戦術。

合体(現在では合体は廃れ、キーぷよ外しが有効とされている)

土台完成後に発火点を伸ばすのでなく、第二折り返しを組んでゆく戦法。

相手の中盤に対応したければ発火、最終的には多少のロスを覚悟で第二折り返しに接続し本線にする。

例えるならば、最初にタンヤオの形を作ってしまい、相手がアガりそうだったら安上がり、余裕がありそうだったら他の役も狙いに行く、という戦術。

凝視

自分のツモを蓄えることから一旦意識を逸らし、相手のフィールドを見ることで相手のしていること、したいこと、これからしてくることを推察し自分の形を適宜変えていくこと。

麻雀で例えるならば、相手の河をよく見て、相手の捨てた牌から様々なことを推察すること。

豊富な連鎖尾

連鎖数を稼ぐたくさんの連鎖尾のテンプレートの考案。

土台というものを折り返しと連鎖尾で分けて考えることにより柔軟な連鎖尾の構築を目指す。

将棋に例えると、「居飛車穴熊」を「居飛車」と「穴熊」に分別して、多様な戦術の可能性について考えること。

伝説のまま引退

ぷよぷよの格付けは主に100先取で行われる。

今まで一度も100先でまけたことのないミスケンは、日本一のぷよらーの称号を欲しいままにしていた。

しかし04年春、ミスケンはぷよ界からの引退を表明。

理由は仕事や趣味との両立が難しくなった上、日本一のプレーヤーがゲーセンに滅多に顔を出さないという事実が許せなかったため。

ミスケンを倒す最後のチャンスとして、ぷよらーたちはミスケンと戦わせるぷよらーを選んだ。(滑稽にもこれは全国二位決定戦と呼ばれた)

選ばれたのは、服部。

互いのプライドを賭けた戦いは、100対95という僅差でミスケンが勝利した。

ミスケンは生涯無敗の金字塔を建てたことになる。

最強の男は最強のままぷよ界から姿を消した。(ちなみに服部はミスケン引退後数年は100先無敗であった)

コメント

タイトルとURLをコピーしました